最近、職場近くの商店街を昼間歩いていて、気になることがある。
住所不定のオジサンが、閑散とした商店街の空き店舗前の涼しげな場所で、暑気を避けている姿とか。
大きな声で独り言を叫んでいる50代、60代のオトコの人やら、オンナの人やら。
北朝鮮にたいする、アメリカ政府による「テロ支援国家」という指定を、アメリカ政府自身が、それ相応の理由によって解除するしないという問題を、遠く離れてはいるが、アメリカ政府の同盟国である日本の、なにも圧力を受けているわけではないメディアが、どうのこうのと言っている。
たぶん、かの「テロ支援国家」という指定自体を、アメリカ政府自身注目し政治的に活用し始めたのは、ソ連が国家として消滅してしまった1990年代以降ではなかったか。
すなわち、彼らUSA政府にとっては、彼ら自身の世界戦略にとって、北朝鮮をめぐる北東アジア情勢はどうなっているのか、という問題意識があって、そういう言動を行なっているのではないか。
北朝鮮に対する外交と、イランに対する外交の、この凄まじい違いは、何に起因するんだろう。
日本政府・メディアみたいな、どっぷり親米的勢力で固まっていて、是が非でも、対米的には、自国民の生命を省みないような政府・メディアが、対アジア外交となると、殊更、毛を逆立たせて威圧するようなのは、いったい、明治政府時代と、どのへんがどの程度違うんだろうか。
2008/06/25 Wed
生活臭
このところ、自分自身の生活のなかで生まれる、自分自身に纏わりつく臭いに敏感になっている。
うつ症状の一つかとも思っているのだが、世の中に、いわゆる、加齢臭、と呼称される、忌むべき香りが存在するのを知り、とくに、気になってきた、らしい。
私が、世間で言う、加齢臭、と呼称されるにふさわしい香りを感じたのは、父方の祖父・祖母の住まっていた家屋に、幼い頃訪れたときに、なんとも言えない安らかさと、過ぎ去った時間を畏敬の念をもって感じさせる、たとえて言えば、藁が日干しされているような香り、そんな、心地よい香りだ。
つまり、年齢を加えるごとに、香ってくる臭いとは、私にとっては、この香り以外にはないのだ。
世間でいう、「オヤジ臭さ」よりも、私にとっては、中学・高校のサークル部室にこもっている、汗と脂と、彼ら彼女らが年代特有に発する、いわゆる、フェロモンにも似た、圧倒的な、むれむれ、とする臭いほど、臭いものはないし。
世間で言う、「年寄り臭さ」よりも、私にとっては、20代の働き盛りの青年男女の、特有の汗臭さと、幾久しく着続けているであろう、スーツから漂う、なんとも言えないアブラ臭さの方が、耐えられない。
かてて加えて。
自分の「加齢臭」か「動物臭」か、知らんが、それ自体を気にしすぎてか、世間で言う、良い香りと言われる「商品臭」(オ・デ・コローニュ、とか、パフューム、とか)を、「これでもか」と纏わりつかせて、むしろ、迷惑に感じさせるほど、その香りに麻痺している人たちの漂わせる臭い。
そちらの方が、ワタシにとっては、はた迷惑なのだ。上司のニンニク臭さと同等に。
うつ症状の一つかとも思っているのだが、世の中に、いわゆる、加齢臭、と呼称される、忌むべき香りが存在するのを知り、とくに、気になってきた、らしい。
私が、世間で言う、加齢臭、と呼称されるにふさわしい香りを感じたのは、父方の祖父・祖母の住まっていた家屋に、幼い頃訪れたときに、なんとも言えない安らかさと、過ぎ去った時間を畏敬の念をもって感じさせる、たとえて言えば、藁が日干しされているような香り、そんな、心地よい香りだ。
つまり、年齢を加えるごとに、香ってくる臭いとは、私にとっては、この香り以外にはないのだ。
世間でいう、「オヤジ臭さ」よりも、私にとっては、中学・高校のサークル部室にこもっている、汗と脂と、彼ら彼女らが年代特有に発する、いわゆる、フェロモンにも似た、圧倒的な、むれむれ、とする臭いほど、臭いものはないし。
世間で言う、「年寄り臭さ」よりも、私にとっては、20代の働き盛りの青年男女の、特有の汗臭さと、幾久しく着続けているであろう、スーツから漂う、なんとも言えないアブラ臭さの方が、耐えられない。
かてて加えて。
自分の「加齢臭」か「動物臭」か、知らんが、それ自体を気にしすぎてか、世間で言う、良い香りと言われる「商品臭」(オ・デ・コローニュ、とか、パフューム、とか)を、「これでもか」と纏わりつかせて、むしろ、迷惑に感じさせるほど、その香りに麻痺している人たちの漂わせる臭い。
そちらの方が、ワタシにとっては、はた迷惑なのだ。上司のニンニク臭さと同等に。
2008/06/23 Mon
スーパーの弁当がまずい
ここ数週間、これまでになく、甲府市中央商店街のなかにあるスーパーの弁当のごはんがまずく感じられる。
とくに、中央商店街にあるオギノの「手作りおにぎり」が、どえらくまずい。
どうしてこんなにまずく作れるのかと思うくらいである。
昼の弁当を自分で作る気力がなくなって久しく、仕方なく近所の食堂で食べていたが、喫煙する客が多くて辟易してしまい、これまた仕方なく、スーパーの「手作り弁当」を購入することが多くなっていた。
おかずはまあまあなんだけれども、弁当のそのごはんが、なんともポサポサ、バサパサ、ぼそぼそしていて、まずいのだ。
冷凍食品コーナーの麺類を購入したついでに、オギノのにぎりめしを買ってみたが、食べるだんになって、そのあまりのまずさにびっくりした。
そのつぎからは、わざわざ、おにぎりだけ、隣にあるセブンイレブンで購入している。
きょう、久しぶりに、岡島の地下食料品売り場のメイン、アマノ・パークスの弁当コーナーで、ハンバーグ弁当を購入。
ところが、この弁当も、白いご飯はクソまず。
どちらのスーパーでも、購入したのは、昼の12時から13時の付近の時間帯だ。
この時間帯に購入して、このパサつき、ぼそぼそ感というのは、どんなもんでしょうか。
自分でも飯を炊くが、いくら失敗しても、ここまでまずくできあがったことは、かつてなかった。
昨今、ミニマムアクセス米の問題が、地球温暖化にともなう世界的規模の食料危機、先進国でまれにみる日本の食料自給率の低さ、などとともに注目されているが、はたして、さいきんの私の舌の感覚のせいか、それとも、実際に、そこらへんの輸入米と古古古米あたりが混在している、コスト安の粗悪米を使っているためか。
岡島の地下食料品売り場には、アマノ・パークス以外にも、いくつも惣菜屋や弁当屋がテナントとなっているが、そういう弁当屋のうち、私が購入したことのある弁当屋2箇所では、少なくとも、ごはんは炊きたてでうまかった。
舌のせいではないらしいし、デパ地下全体の問題でもないらしい。
とくに、中央商店街にあるオギノの「手作りおにぎり」が、どえらくまずい。
どうしてこんなにまずく作れるのかと思うくらいである。
昼の弁当を自分で作る気力がなくなって久しく、仕方なく近所の食堂で食べていたが、喫煙する客が多くて辟易してしまい、これまた仕方なく、スーパーの「手作り弁当」を購入することが多くなっていた。
おかずはまあまあなんだけれども、弁当のそのごはんが、なんともポサポサ、バサパサ、ぼそぼそしていて、まずいのだ。
冷凍食品コーナーの麺類を購入したついでに、オギノのにぎりめしを買ってみたが、食べるだんになって、そのあまりのまずさにびっくりした。
そのつぎからは、わざわざ、おにぎりだけ、隣にあるセブンイレブンで購入している。
きょう、久しぶりに、岡島の地下食料品売り場のメイン、アマノ・パークスの弁当コーナーで、ハンバーグ弁当を購入。
ところが、この弁当も、白いご飯はクソまず。
どちらのスーパーでも、購入したのは、昼の12時から13時の付近の時間帯だ。
この時間帯に購入して、このパサつき、ぼそぼそ感というのは、どんなもんでしょうか。
自分でも飯を炊くが、いくら失敗しても、ここまでまずくできあがったことは、かつてなかった。
昨今、ミニマムアクセス米の問題が、地球温暖化にともなう世界的規模の食料危機、先進国でまれにみる日本の食料自給率の低さ、などとともに注目されているが、はたして、さいきんの私の舌の感覚のせいか、それとも、実際に、そこらへんの輸入米と古古古米あたりが混在している、コスト安の粗悪米を使っているためか。
岡島の地下食料品売り場には、アマノ・パークス以外にも、いくつも惣菜屋や弁当屋がテナントとなっているが、そういう弁当屋のうち、私が購入したことのある弁当屋2箇所では、少なくとも、ごはんは炊きたてでうまかった。
舌のせいではないらしいし、デパ地下全体の問題でもないらしい。
2008/06/15 Sun
連続する激震災害
四川大震災から数日、これまで、近々の地震発生の可能性はほとんどないとされていた地域で、大地震。
日本列島をはじめ、北東・東南アジア全域が、いつ地震が起ってもおかしくない地域であることを再認識されられた。
精緻な地震予測が、現在のところ困難ということであれば、地質学的に地震の怖れのある日本列島全域が、国の地震対策の対象地域となるべき。
すなわち、財政的行政的援助補助の対象として、予算を立てるべきだろう。
どこよりなにより、中国四川省の震災の経験からして、学校などの公共施設の耐震点検と耐震整備のための財的保証。
実際に災害が生じた際の、財的補償の対象地域・対象物件の拡大。
そのためにも、特定個人・団体の利権や利得を保証するための施策を一掃すること。
住民市民がのぞんでいない「公共」施設の設置・建設は、後回しにしてヨロシ。
散々、同胞を陵辱侮辱している米兵ヤツラに対する、住的財的権益は中断するべし。
われら庶民の生活物資の物価高を招いた、マネーゲームに投資するくらい、余りガネをもてあましている資産家たちへの、適正な課税を決行するべし。
それらの措置によって、生半可な行政的予測によって、無事だとされた地域に振り分けられないとされている、地震対策のための交付金・援助金の財源が得られるはず。
今回、甚大な災害を蒙った人びと、その人びとを抱える行政に携わる人たちの無念さを思う。
2008/06/09 Mon
洗濯のタイミング
いよいよ梅雨入りだそうで。
たしかに、気象予報も、ここ2日ばかり、微妙に当たらないです。
気象予報を当てにして、洗濯物を表に干さずに、いやさ、そのユウベ、洗濯機をまわさずに出てきたら、実は、意外に晴れ間が除いていて、もしも、朝、表に洗濯物を出して出勤していたならば、けっこう、乾いていたかもしれない、という口惜しい時間を過ごしたものとして、断固宣言、アンド、僭越ながらのアドヴァイスであります。
気象予報にかかわらず、こんな、梅雨の時期なんていう頃合には、気象予報士さんもとまどう時節なんでやんすから、予報は当てにせず、とにかく、洗濯したいものは洗濯して、干して出る。
もしも、どしゃぶり、なんてことになって、洗濯物にカビがはえたらどうしよう、なんて事態に進展したならば、そのときはそのとき、潔く、コインランドリーに走りませう。
これぞ、梅雨時の生活の知恵とでも申しましょうか。
知恵ならぬ、開き直りでありましょうか。
ということで、私は、今夜洗濯機を稼動しております。今夜干します。
たしかに、気象予報も、ここ2日ばかり、微妙に当たらないです。
気象予報を当てにして、洗濯物を表に干さずに、いやさ、そのユウベ、洗濯機をまわさずに出てきたら、実は、意外に晴れ間が除いていて、もしも、朝、表に洗濯物を出して出勤していたならば、けっこう、乾いていたかもしれない、という口惜しい時間を過ごしたものとして、断固宣言、アンド、僭越ながらのアドヴァイスであります。
気象予報にかかわらず、こんな、梅雨の時期なんていう頃合には、気象予報士さんもとまどう時節なんでやんすから、予報は当てにせず、とにかく、洗濯したいものは洗濯して、干して出る。
もしも、どしゃぶり、なんてことになって、洗濯物にカビがはえたらどうしよう、なんて事態に進展したならば、そのときはそのとき、潔く、コインランドリーに走りませう。
これぞ、梅雨時の生活の知恵とでも申しましょうか。
知恵ならぬ、開き直りでありましょうか。
ということで、私は、今夜洗濯機を稼動しております。今夜干します。
アキバ事件
きのう深夜のニュースで知り、報道内容に、文字通り愕然とテレビ画面を見つめるしかなかった。
事件の陰惨さと切なさを感じた直後、アナウンサーが紹介した事件直後の映像と画像の提供元を聞いて、不謹慎にも、「さすがアキバじゃ」と思った。
この陰惨でショッキングな事件の最中、地面に倒れている人、それを救出する周囲の通行人やら救急隊員やらの、“いかにも事件”という雰囲気を、すかさずケータイの録画機能でゲットする「センス」。
さらには、とっつかまった容疑者男性の、そのとっつかまる瞬間を見事に画像としてゲットし、配信先もまちがえない見事な判断力。
事件を客観視するだけの肝っ玉の持ち主でなければ、こうはいかなかったろう。
そういう肝の持ち主が、比較的多かったマチだったのではなかったか。
事件を受けて、「より旺盛に、命の大切さを教え込め」と、ある批評家が言うとるそうだ。
かなり一般的だし、効果なさそうな助言だ。
ここ数年の間におこった無差別殺人事件の実行者たちの言動をめぐる報道内容を知るにつけ、一般的な「命は大切なもの」というメッセージが、どれだけ空しいかを感じている。
その同じ大切な「ワタシ」の命が、社会的な重圧で“透明”にされ、無意味なものと、「ワタシ」に感じさせられている実態があるのだ。
その点で、昨今、メディアで流されている公共広報のメッセージは、的を射ている、と思う。
「命が大切、って、幾度となく言われるよりも、あなたが大切、って誰かに言われることの方が……」
とか。大要こんなふうなヤツだったと思うが。こういうことがもとめられてるんじゃなかろうか。
2008/06/07 Sat
2008/05/30 Fri
「本音」を「失言」で大騒動
このニュースを今朝確認。帰宅してからまた配信されているニュースを見ていたら、このニュース。
彼女についての印象は、これまでそんなに悪くないものだった。
むしろ、最初にヒットした映画への出演の仕方がセンセーショナルなものだったゆえに、いろんな誤解を受けているだろう、彼女の辛さを慮ったりして。
この一件で、彼女も、わが国で、女性の受胎をめぐって凄まじい言葉を使って騒動を起こした女性同様、ただの舞いあがっているおバカなオンナだったんだと思い知った。
彼女の出演しているCMは、この先どうなるんだろう。ディオールとの契約は?
日本では、かの妄言を吐いたオンナは、ひきつづきCMに出演し、芸能活動も続けているし、それを許す企業側と視聴者側の雰囲気があるようす。
彼女が芸能界で生き残っていること自体、社会全体のモラルが、まだゆるゆるなんだな、許容量が大きいんだなと、日本社会の懐の深さを実感する。
2008/05/26 Mon
健診結果を考察する
5月7日に、市内の健診センターにて健診受診。
印象深かったのが、肺機能と眼底を診る機械をあやつる技師の方。女性だったんだが、見事なお声と表現力で、声優のお勉強をなさっているんではないかと思うくらいであった。おもしろかったし、かわいらしかった。
健診結果は、すでに1週間ほど前に手元に。
前回にくらべて、「要治療」とか「要精密検査」という項目はなかったものの、「要経過観察・生活注意」項目が2箇所。
肝機能の異常と、超音波検査による「脾臓腫大」。
前回と同じなのが、「脾臓腫大」。前回は「要精密検査」の診断だったのが、今回は「要経過観察」レベルであったが。
素人なりに、今回の健康診断結果を考察してみた。
続きを読む
印象深かったのが、肺機能と眼底を診る機械をあやつる技師の方。女性だったんだが、見事なお声と表現力で、声優のお勉強をなさっているんではないかと思うくらいであった。おもしろかったし、かわいらしかった。
健診結果は、すでに1週間ほど前に手元に。
前回にくらべて、「要治療」とか「要精密検査」という項目はなかったものの、「要経過観察・生活注意」項目が2箇所。
肝機能の異常と、超音波検査による「脾臓腫大」。
前回と同じなのが、「脾臓腫大」。前回は「要精密検査」の診断だったのが、今回は「要経過観察」レベルであったが。
素人なりに、今回の健康診断結果を考察してみた。
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2008/05/17 Sat
ゴミ出しをめぐって
転居する以前の地域で、ゴミ分別の意識が、住民のなかでいかに低いかということを、まざまざと実感していたワタシ。
引越しした先のこのアパートで、どれほど、それを、より、目の当たりにしてきたか。
すなわち、この地域では、「燃やす」ゴミは、毎週月曜日と木曜日の朝(実際は、午前10時ごろまで)にステーションに持ち込むことになっているが、現実は、ダラダラと、いつまでもゴミが、ステーションからなくならない。
月々、決まった日にち(だいたい毎月一日)しか保障されない「燃やさない」ゴミ(ガレキ)、「資源」ゴミ(当該自治体で当面リサイクル可能な物資)などの規定日も、ほとんど守られていない。
なんと、今期、不動産屋も業を煮やしたのか、この2年間なかった、ゴミステーションへの掲示板設置。
ただし、資源ごみと有価ゴミ(当該自治体など、住民がボランティアで分別している資源ごみ)の区別、すなわち、当該地域で、いったい、住民が自主的に資源ごみを分別しているのかどうかの確認もせず、アパート設置地域で、さも、資源ごみの分別作業が、このアパートのゴミステーションで行なわれているかのような誤解をうむような通知方法だったが。
そんな“努力”にもかかわらず。
燃やすゴミを出す日にちも守られず。
引越し期間とはいえ、「ガレキ」ゴミを出すべき日程も守られず。
アパート住人以外に、ゴミを持ち込んでいる不届きものがいないかどうか、という問題がある。
これについては、ワタシ自身、たまたま、ほかから持ち込んでいる男性を目撃しているし、そのカレに、直接苦言を呈したこともある。
そういう不届き者が、まだいるかもしれないという仮定も含めて…
消費者の権利として、あるいは、消費者の政治的義務として、ゴミの管理を、自分自身の政治的市民的自覚のもとに、社会に還元すべきであることを、声を大にして提言したい。
すなわち、ゴミは、自分や自己の属する世帯の住居スペースから見えなくなったからといって、自分の生活の脈絡(経路)から無関係となったわけでは、けっしてないことを、まずは自覚すべきであること。
自己(自分自身を含めた世帯全体)の生活スタイルの“成れの果て”として、その成果、その結末、その尻拭いの責任を有するモノとして、社会的に実存し続けるものであると自覚すべきこと。
それらの分別は、自己の(自己を含む世帯全体の)生活スタイルを、真の効率性の点からも、社会的に還元可能な生活であるかという点からも、重要重大な点検要素として、重視すべきであって、政治的社会的な責任とあいまって、その選択をすべき市民的責務からして、自分たち自身の怠慢を放置すべきでないこと!!!!
これは、女性だから、男性だからといった区分では片付けられない。
なにせ、ワタシの身近に、女性だからこその鈍感さでもって、これまで周囲の環境を、どんよりとさせ、ゴミをわが身にまとわせ、フロアをゴミを山にしていたのを目撃しているからだ。
性別を問わず、これは、市民的政治的責務、いや、義務といえよう。
しかし、これだけ、不動産屋さん自身が明示しているのにもかかわらず、不届き者が続出するという体たらく。
もしも、アパートの住民のなかに、その不届き者がいるとしたら、けっきょく、どういう風に対処すればいいんだろう。
こういうときに、いわゆる、監視カメラなど、住民監視装置の是非が云々されるんだろうな。
引越しした先のこのアパートで、どれほど、それを、より、目の当たりにしてきたか。
すなわち、この地域では、「燃やす」ゴミは、毎週月曜日と木曜日の朝(実際は、午前10時ごろまで)にステーションに持ち込むことになっているが、現実は、ダラダラと、いつまでもゴミが、ステーションからなくならない。
月々、決まった日にち(だいたい毎月一日)しか保障されない「燃やさない」ゴミ(ガレキ)、「資源」ゴミ(当該自治体で当面リサイクル可能な物資)などの規定日も、ほとんど守られていない。
なんと、今期、不動産屋も業を煮やしたのか、この2年間なかった、ゴミステーションへの掲示板設置。
ただし、資源ごみと有価ゴミ(当該自治体など、住民がボランティアで分別している資源ごみ)の区別、すなわち、当該地域で、いったい、住民が自主的に資源ごみを分別しているのかどうかの確認もせず、アパート設置地域で、さも、資源ごみの分別作業が、このアパートのゴミステーションで行なわれているかのような誤解をうむような通知方法だったが。
そんな“努力”にもかかわらず。
燃やすゴミを出す日にちも守られず。
引越し期間とはいえ、「ガレキ」ゴミを出すべき日程も守られず。
アパート住人以外に、ゴミを持ち込んでいる不届きものがいないかどうか、という問題がある。
これについては、ワタシ自身、たまたま、ほかから持ち込んでいる男性を目撃しているし、そのカレに、直接苦言を呈したこともある。
そういう不届き者が、まだいるかもしれないという仮定も含めて…
消費者の権利として、あるいは、消費者の政治的義務として、ゴミの管理を、自分自身の政治的市民的自覚のもとに、社会に還元すべきであることを、声を大にして提言したい。
すなわち、ゴミは、自分や自己の属する世帯の住居スペースから見えなくなったからといって、自分の生活の脈絡(経路)から無関係となったわけでは、けっしてないことを、まずは自覚すべきであること。
自己(自分自身を含めた世帯全体)の生活スタイルの“成れの果て”として、その成果、その結末、その尻拭いの責任を有するモノとして、社会的に実存し続けるものであると自覚すべきこと。
それらの分別は、自己の(自己を含む世帯全体の)生活スタイルを、真の効率性の点からも、社会的に還元可能な生活であるかという点からも、重要重大な点検要素として、重視すべきであって、政治的社会的な責任とあいまって、その選択をすべき市民的責務からして、自分たち自身の怠慢を放置すべきでないこと!!!!
これは、女性だから、男性だからといった区分では片付けられない。
なにせ、ワタシの身近に、女性だからこその鈍感さでもって、これまで周囲の環境を、どんよりとさせ、ゴミをわが身にまとわせ、フロアをゴミを山にしていたのを目撃しているからだ。
性別を問わず、これは、市民的政治的責務、いや、義務といえよう。
しかし、これだけ、不動産屋さん自身が明示しているのにもかかわらず、不届き者が続出するという体たらく。
もしも、アパートの住民のなかに、その不届き者がいるとしたら、けっきょく、どういう風に対処すればいいんだろう。
こういうときに、いわゆる、監視カメラなど、住民監視装置の是非が云々されるんだろうな。