2007/10/23 Tue

夕凪の街 桜の国

映画「夕凪の街 桜の国」を、先日「シッコ」「パンズ・ラビリンス」を観たシネコンにて、ようやく鑑賞。

さきに東京で見てきた知人から、原作の漫画作品を紹介されて読ませてもらっていた。
原作の方は、かなり早くから話題に上っていたが、実際に読んだのはそれが最初。
繊細で淡いタッチで描かれているし、セリフも日常のありふれたものなのに、衝撃的な言葉が主人公の独白部分にふと挿入されていて、痛切だった。

原作でとくに印象的だった前半、「夕凪の街」が、映画ではどのように描かれるのだろうかと、期待半分興味半分。
映画は、原作よりもさらに自由に、過去と今とを行き来して、縁をつなぐ髪留めを軸に、「被爆」という体験の、非情で過酷な時間の長さを提示してくれる。

出演者は皆破綻なかったけれど、田中麗奈の「七波」に、私は参ってしまった。
「夕凪の街」の物語と「桜の国」の「今」とをつなぐ、七波の両親の出会いから結ばれるまでのセピア調の一連のシーンに、そっと登場するビビットなオレンジの服の七波。彼女の表情。それと、ラストのスローカット。

一連の挿入曲は、わざとらしさを感じさせて、私には余計だった。
藤村志保や麻生久美子らの抑制された絶妙な感情の表現を、むしろ邪魔していたように思う。
posted by Kyawa at 19:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2007/10/11 Thu

パンズ・ラビリンス

昭和町との境あたりに数年前に建設されたシネマコンプレックスで11日午前に「シッコ」を視聴。同じ施設で午後、「パンズ・ラビリンス」を視聴した。

スペイン語映画。なのに邦題は英語
スペイン語では、牧神はパンとは発音しないのに。

El Laberinto del Fauno(牧神の迷宮)

この映画も、数カ月前にアップルコムの映画予告編コーナーでたいへん興味をそそる映像を観て、楽しみにしていた。まさか、こんなに早く国内で、それも県内で上映されるとは。
「シッコ」ともども、ラッキーだった。

フランコ政権下のスペインが舞台。
視聴年齢制限がかけられている理由を、全編を見終わって了解した。
はじめから最後まで、凄惨な暴力と殺戮のシーンが続く。

こう言うと、最近のアメリカ産、ヨーロッパ産の流行っている映画はどれも当てはまってしまうじゃないか。そういう映画群には、年齢制限かけられていないのになあ。不思議だ。

この作品の暴力は、「正義の味方」による殺人とか、「スタイリッシュな」銃撃戦とかではない。正義の味方とか悪者とかの意図的な区別でオブラートにつつんでいるのではない、生身の人間どうしの暴力だ。
だから、暴力の実際と現実がそのまま露になる。
だから凄惨に感じるのかもしれない。

牧神や迷宮を発見する少女が体験する不思議な世界が、これまた生理的にぞっとするような世界なのだ。
粘質の泥にまみれた、甲虫だらけの地下世界で、蛙の化け物がでてくる。
眼球が手のひらにあるノッペラボウがでてくる。
なにより、少女を3つの試練に誘う牧神が、身の毛もよだつような風体なのだ。

この牧神の世界の怖さと、現実世界で展開される、村民やゲリラ捕虜への拷問、銃撃戦での流血、そして、少女の母親の難産のシーンなどの描写が、同じタッチに感じられるのだ。
いや、むしろ、現実世界での血しぶきや叩き潰された鼻やへし折られた指、出産時に流された大量の血液などの方が、おどろおどろしい。

それらの凄惨な暴力シーンが、例えば、アメリカB級スプラッター映画のような軽薄さではなく、たいへん落ち着いた色調のなかで、安定した演技力をもったすぐれた俳優陣によって、展開される。

はたして「牧神の迷宮」の世界は、現実の厳しさから逃れたいという少女の切望が呼び出した世界だったのか。
この世界は、結局、生身の少女の身体を受け入れることはなかった。牧神が提示した試練の3つめは、あまりにも過酷なものだった。
現実の世界でも、ゲリラへの協力者はその信念のために命を落とした。
実は、政権側の人間であり、残虐なゲリラ掃討作戦を実行してきた将軍自身も、彼という人間を形成せずにはおかなかった因縁を背負っていたのだが、彼がこだわっていたその生き方をまっとうすることはできなかった。

輝かしい「牧神の迷宮」の地下世界とは対照的に、地上世界には救いはない。
なんというドラマだろうか。
それなのに、全編をとおして、その独特の色彩や形状の美しさに引き込まれてしまうのは、なぜなんだろう。
posted by Kyawa at 19:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

シッコ

ドラマ「ER」でしばしば挿入されていた、保険会社職員とERスタッフとのやりとりの背景を知ることができた。

ニクソン大統領時代に導入されたHMO(Health Maintenance Organization)システムのもとで、アメリカ国民の間の医療格差が、いかに拡大してきたかが暴露される。
その是正案を掲げたヒラリー・クリントンを挫折させたのは、アメリカ独特の特異な反共主義による「国民皆保険=社会主義的政策」という政治的キャンペーンと、保険会社からの多額の政治献金。
アメリカでは、「自由主義国家を守る」という大義が、一方で、国民が健康で文化的に生存する権利を事実上無視する“大義”として利用されているし、経済的利益追及を第一義とするその大義が、政治を徹底してコントロールしているんだなあ。
ヒラリー氏はいちおう、民主党なんだけども、共和党も民主党も、それぞれの議員がことごとく保険会社からの献金の恩恵を受けているということも、監督は映像のなかでしっかり指摘していた。

営利目的の企業による医療保険でささえられているアメリカの医療制度。
無保険者の割合が実に大きい。その無保険者たちがおかれている実態にぞっとさせられる。
事故で膝を深く切ってしまった男性が、自宅で消毒、縫合する。
病院にかつぎこまれた無保険の女性が、病院から追い出され、白昼堂々と歩道に置き去りにされる。

ところが、もっと驚かされるのは、“運良く”保険に加入できた圧倒的多数の人たちさえ、まともな医療を受けられないという実態だ。
同時多発テロ直後、救援活動に馳せ参じたボランティアの消防士たちが、救援活動がもとで呼吸器疾患などを患いながら、保険が適用されず苦しんでいるというケースも紹介される。
医療費の負担で破産に追い込まれた、中流の初老夫妻。高学歴高収入だった彼ら。子供たちも一流の大学にやり、一人前に育てあげながら、夫妻ともども病をわずらったがために、家を売り払わなければならないはめになった。彼らもむろん、保険加入者だったが、適用される範囲がきわめて狭いのだった。
どうしてこのような事態が生まれているのか。その背景にも迫る監督。
患者、加入者を、医療から遠ざければ遠ざけるほど、保険会社のスタッフや専属医師が評価され給与が上がるという、利潤第一主義のきわめつきのようなシステムの存在を、あばく。

こんな国ではまともな医療を受けられないと、隣国カナダの病院に診察を受けに行く女性のケースが紹介される。
このほかにも、ヨーロッパに飛んだ監督は、フランスとイギリスへ。
これらの国では、医療は基本的に無料。
財布の中身の心配や、保険会社への事前承認の心配をしなくてもいい。
イギリスでは、かのサッチャー氏でさえ、その解体に手をつけられなかった、医療制度が、1948年当時から堅持されていることが紹介され、フランスでは、バカンス制度(有給休暇制度)の充実振りや、無料ナニー派遣などをふくむ手厚い子育て支援システムも紹介される。
フランス在住のアメリカ女性の話がせつない。「アメリカの両親に申し訳ないと思ってしまう。私が享受しているものを、懸命に働いても受けることができない両親のことを考えると…」
“アメリカン・ドリーム”の内実を見せつけられた。

監督はさいごに小気味よいオチを用意してくれる。

見ながら、わが日本の医療制度、社会保障制度のことを考えた。
いちおう「国民皆保険」制度といえるだろうか。
医療費負担や保険会社事前承認のことを尋ねる監督を、なんのことを言っているのかと思わず笑っていた、フランスやイギリスの医療スタッフや医療機関の利用者たちを見ていて、わが日本で、いったい幾人の医療スタッフが同様に監督の質問を「ナンセンスだ」と笑えるだろうかと、考えてしまった。
後期高齢者医療制度なる、「姥捨て山」制度が、堂々と議論対象に上せられるような状況なのだ。
テレビでは、外資系(アメリカ資本の)医療保険の宣伝が、ひっきりなしに流されている。
切り崩されつつある、わが国の医療制度が向かっている先にあるのが、今回映画化された、アメリカのこの現実なのだ。
posted by Kyawa at 15:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2007/10/08 Mon

エディット・ピアフ―愛の讃歌

市内中央商店街にある映画館で上映中。本日視聴。
これまで幾度か別の作品の上映の際入ったけれど、きょうは比較的入りがよかった。
休日だったからか、上映されている作品によるのか。
内容が内容だからか、50歳代から60歳代くらいの方が多かったような…

「エディット・ピアフ―愛の讃歌」

女の一生”“女優魂”―こういうと、文学座の杉村春子さんのことをいっているようになってしまうけれども…
映画で描かれていたのは、ピアフ・フアンの印象に残るピアフ像ではなく、マスメディアによって形作られたピアフ像でもない。ある女性歌手の壮絶で波乱に富んだ一生。
ピアフを演じた女優と、女優を化けさせたメイクの技の妙。
なんとも自然に、20歳代から最期までを演じきった。
観ている側が、まるでピアフその人の人生を追体験したようなリアルさ。
時間を自由自在に行き来させながら、ピアフの人生を紡いでゆくように描くストーリー展開。
彼女の素晴らしい歌声を契機に、周囲の関係人物との相関関係の説明も兼ねながら…

生活の糧を得るために、街角で歌う母。その母に浴びせられる、おせっかいを焼く身奇麗な女性の容赦ない非難の言葉。
子供を抱えて生きるために歌うことしか残されていない女性の苛立ちと怒り。
その子供のせいで卑しめられることの切なさ。
怒りの持って行き場はどこにあるのだろう。

スキャンダルに巻き込まれるピアフ。
その彼女の周囲で、死肉を待ちわび貪るようなカメラフラッシュとえげつない質問で責めたてる記者たち。
この映画に登場するメディアは、すっかりピアフの目線で描かれている。

これまでのピアフ像が一掃され、人間ピアフをこれでもかと見せ付けられた。
ただの伝記映画ではなかった。期待をはるかに超える見ごたえ。
posted by Kyawa at 22:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2007/10/07 Sun

紅玉

りんごといえば、紅玉だ。
もう先月あたりから、りんごがお手頃の値段で店頭に並ぶようになって、ついつい手をのばしていたのだが、いくら待てども、近所のスーパーには、私の好きな紅玉が登場しない。
本も服もネットでショッピングができるんだから、紅玉もきっと…
と思い立って、さっそく検索してみたら、あった。で、即注文
3-4日ほどで宅急便にて到着。
2750円で小玉25個。1個あたり110円ほどだから、以前購入していたルートのものより少しばかり安い。
ようやく、1年ぶりくらいに、酸味たっぷりの風味を楽しんでいる。

りんご/紅玉(こうぎょく) 産地直送JAタウン
posted by Kyawa at 00:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 生活

2007/10/02 Tue

朝鮮半島情勢の新たな前向きの局面

6カ国協議が、紆余曲折を経ながらも、確実に成果をあげつつあるなか、第三国の仲介・介入なしの対話が再開。
この間、NHKが特集した番組などで、すでに工業団地の建設と資金援助など、かなりの交流が行なわれていることを知ったばかりだ。

拉致問題などは、日本の場合よりも桁違いの人数で北朝鮮側に連れて行かれている。
朝鮮戦争で分断される直前直後からこっち、生き別れになっている離散家族問題では、ほとんどの世帯が関係しているとも聞く。

異なる体制のもとで、いまだ“休戦状態”、つまり、いまだに戦争状態にあるが、もともと、日本なんかよりよっぽど、民族的には単一性が一貫している朝鮮半島。
統一された朝鮮半島への願いは、北も南も同様だろう。

“統一された朝鮮半島”これも、先日みたNHK特集のなかで、たいへん大事な観点で、現韓国政府が外交政策をすすめていることを知った。
これまでは、どちらかというと、南の社会体制に、北を引き込む、という方針だったという。
これは、結局、北の現体制の解消、もしくは崩壊を待つか促す、ということになる。この方針自体が、外交的にも緊張を生みやすいものだ。
この方針を、転換しているというのだ。
それがいわゆる“太陽政策”の柱。二つの異なる体制の社会が並存共存しつつ、国民の自由な交流と経済交流のなかで、おのおのの国民の納得ずくで統一的政治経済体制に移行してゆこう、というもの、らしい。

この政策はまた、これまで、国際機関やとくにアメリカなどの仲介、介入による対話が主たる手段だった、南北の対話のあり方を、朝鮮民族・韓民族自らが主体的にすすめるという方向に、大きく切り換える画期だった。
ミサイル実験などによる緊張の高まりのために、中断してしまったこの流れが、6カ国協議の軌道修正がうまくすすんでいることともあいまって、また太くなった。
posted by Kyawa at 20:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース