2007/06/24 Sun

沖縄の人びとはどんな思いで安倍首相を迎えたか


不思議な政治的感覚の持ち主だと思う。
ただ、こういう感覚が、安倍氏個人特有のものでないところがまた、たいへん政治的なんだな。

米軍再編については、
切実な声に耳を傾け、推進する
と、“切実な声”を徹底して無視し、地上戦のなかで起こった県民虐殺と集団自決をめぐる事実をなかったことにしようとする動きを当然と傍観する。
他国の人びとに日本が行なった残虐行為をなかったことにしてしまおうとする彼(ら)の歴史観と、同胞にたいするこの態度は、軌を一にするものだろう。

侵略行為にたいする真摯な研究や発言や反省、そして語り継いでいこうとする行為を「自虐的」という彼(ら)は、事実上“占領”状態にあるこの国の状態を、あたかも悠久の昔からつづいているとても自然な状態のように思っているらしい。これこそ「自虐的」だと思うし、その占領状態に苦しむ自国民をかえりみない態度こそがまさに「売国的」だと思うんだが。
posted by Kyawa at 22:09 | Comment(7) | TrackBack(0) | ニュース
この記事へのコメント
集団自決の問題は、本当に悲惨であり、沖縄の人々に深い傷あとを残したのは事実ですが、歴史は正確に伝えないといけないと思います。安倍首相をはじめとする政治家はここでは、正論を言えません。言えば、悲惨な現実を経験した本人から実感をともなった反論を受け、国民は感情的に反応し、政治家として抹殺されてしまうからです。私は、NHKの特集をみていても、実際に手榴弾を渡されたが、強制力のある命令(自決しないと殺すなど)を受けたとの証言している人はありません。手榴弾を渡したことは命令と同じだと解釈するのは少し無理と思います。兵隊自身も、捕虜になったらひどいめにあうので、死んだほうがましだと思っているからです。さらに、被害者に鞭打つことにはなるのですが、以下は政治家がいいたくてもいえないことです。現在、生き残っている人は、多くの肉親を無くして、自分が現在生きていることに自己嫌悪をもっているはずです。あのとき、自分がとめていれば、彼等は生きていたのではないかと。。それを軍の命令だからとの論理をとれば、救われた気持ちになることはないでしょうか。自決しない民間人を銃殺するような行為が軍によって行われていたのであるならば、話は別ですが、今、流れてくるニュースではそのようなことはないですね。アメリカ軍の捕虜になったらひどい目に遭うと吹き込んだのは軍部であり、それが状態をさらに悲惨にしたのは事実ですが、それはまた別の問題です。論理をすりかえてはいけません。
Posted by 浜田 吉男 at 2007/06/25 Mon 15:56
通りすがりますた。

浜田さん、
>自決しない民間人を銃殺するような行為が軍によって行われていたのであるならば

地元民が逃げ込んでいたガマが、キャパがいっぱいだからということで、後から逃げ込んできた旧日本軍人たちが追い払った話(つまり砲弾の雨の中に丸腰の地元民を追い出したということ)とか、聞いたことありますよ。
あとは、投降しようとした民間人を軍人が殺したという証言も。
また、地上戦の最中、疑心にかられた軍人がスパイと思い込んだ地元民を殺したという話もあります。

生き延びた人が自己嫌悪の感情を旧軍に投影している可能性というご指摘はうなずけますが、それ以前に、当時の旧軍が地元民を差別していた構造というものも存在しています。ウチナンチューは大和民族じゃないから、ということで。そこんところも大きな要因としてあったということが、ここ数年の報道からは意図的に外されているような気がします。

管理人様の
>事実上“占領”状態にあるこの国の状態を、あたかも悠久の昔からつづいているとても自然な状態のように思っているらしい。これこそ「自虐的」だと思うし

に強く同意です。
Posted by toorisugari at 2007/07/01 Sun 23:52
浜田吉男さんのコメントをもらい、少し考えるところがありました。
考えていたら、さきにtoorisugariさんからコメントをいただいて、助かりました。

浜田さんのコメントで暗澹たる気持ちになると同時に、石原都知事や安倍内閣の面々のような人たちが、表舞台で堂々と、かの筋の主張ができている理由が分かりました。

さきの戦争の経過と性格、また、具体的侵略政策や、日本帝国軍隊が引き起こしてきた具体的侵略残虐行為について、知らない、あるいは知らされていない人たちがいるというところに、まんまとつけこまれているんだなと。

かく言う私も、戦争といえば、高校生まで、知識は太平洋戦争からでしたし、戦争の惨禍といえば、原爆投下、都市空襲、物資不足などの日本国民の側の被害ばかりでした。
ただし、この私でも、国内で唯一の地上戦となった沖縄戦のなかで、日本帝国軍によって差別され蔑視され、さまざまな悲劇を生んだ沖縄戦をめぐることがらは、当時「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」などの記録や映画などで知ってはいましたが。

“彼ら”が、どしどし伸してきたのを逆手にとって、改めて、さきの戦争の全体像、全容を知り学ぶことをせにゃいかんなと、腹をくくっているところです。
Posted by Kyawa at 2007/07/23 Mon 22:16
本当に学びましょう。お互いに。
ちなみに、軍命令の有無を考察する場合の話をひとつ。

戦後の補償処理が進められる中で、「軍による強制があった」場合には、高額な戦災遺族年金が受けられたとの事。
当事者たる軍人側の証言によると、軍による集団自決等の強制はなかったが、その事実を明らかにしてしまうことで補償を打ち切られてしまう方々を生む。だから正面切って反論は出来なかった…。

私もKyawaさんとほぼ同年なのですが、Kyawaさんのコメントを読ませて頂くと、昔の自分を見ているようで気恥ずかしくなります。 とくに 《さきの戦争の経過と性格、また、具体的侵略政策や、日本帝国軍隊が引き起こしてきた具体的侵略残虐行為について、知らない、あるいは知らされていない人たちがいるというところに、まんまとつけこまれているんだなと。》 のくだり。

勉強不足を露呈するだけではなく、知ったかぶりで高みに立つ態度。ああ恥ずかしい…



Posted by 通りがかり at 2007/08/03 Fri 20:41
沖縄県民の間で、実体験として語り継がれ、県史として編纂公開されている事実が、中央政府によってゆがめられたというのが今回の問題です。

私が知ったかぶりしているのではなく、すでに数十年間、自公・安倍内閣が組閣されるまで、歴史的事実として認知されてきた事柄です。

むしろ、軍国主義的教育と「戦後以前のレジーム」の復古をねがう特異な人たちが、認知されてきた真実を無視しているところから生じた問題なんだと考えています。

当時の軍には「軍民共死」という考え方が前提にあり、住民を防護するというよりも、軍民一体で戦闘にあたり、戦闘に邪魔となれば見捨てるか、文字通り切り捨てるという行為が当たり前に行なわれたこと。そのために手榴弾などが配給され住民が持たされていたこと。
軍民一体となって行動しているために、一方で民間人にも軍隊の動きが知られているため、県民は同時にスパイに容易になりうる存在として見られており、そのため、身に覚えのないスパイの嫌疑をかけられ殺害されたケースがあること。
これらの証言や体験談を含め、当時の大本営が沖縄県民棄民策としかいいようのない作戦を立てていたことを合わせ、沖縄県史は、たいへん冷静に客観的に編纂されているものと思います。

ちょうど先日、NHK教育チャンネルでも、この沖縄地上戦の実態をめぐる特集が放映されていました。
Posted by Kyawa at 2007/08/03 Fri 21:20
私の暴言にも真摯なコメントを頂きまして恐縮です。私もKyawaさん同様、史実をゆがめることを憎むものの一人ですが…。

 《当時の大本営が沖縄県民棄民策としかいいようのない作戦》があったように、銃後の人々を本土へ疎開させる作戦もあったのです。時は戦時、敵は大国アメリカです。アメリカによる上陸前の攻撃は当時の国際法をも無視した、軍民の区別なく殺戮を目論んだものです。それゆえに《軍民一体で戦闘にあたり》、勇猛果敢に戦死していった方々もあったのです。
 《県史として編纂公開されている事実》もあり、県史以外の事実もあるのです。涙を流す証言者は本当に可哀相です。しかし、それさえも疑ってかかる ―証言者でさえ一部を目撃したに過ぎない― という態度が必要です。可哀相という3文字で思考が止まってしまうからです。
 《軍国主義的教育と「戦後以前のレジーム」の復古をねがう特異な人たち》と同様に、反戦・平和だけを唱える特異な人たちもいるのです。

以上のように両面併記的思考からみても、Kyawaさんのコメントは一面的に過ぎ、違和感を感じてしまいます。
また、ご承知のことでしょうがNHKや朝日新聞をはじめ、マスコミ・メディアに対峙する姿勢はもう少し慎重であるべきでしょう。鵜呑みするにはバイアスが偏りすぎている、あるいは意図が織り込まれているケースが多々あります。戦勝国による「日本を去勢するための作戦」は、特異な日本人にも支えられ、今も進行中なのです。
Posted by 通りがかり at 2007/08/04 Sat 12:39
政府閣僚たちの言動をみていると、彼らも、“私が言及する事実もたしかにあったが、ほかの事実もあった”という、通りがかりさんのような「両面併記的思考」ではなさそうです。
「両面」的(実際は多面的なのでしょうが)実相のなかで、殊更に、彼らは、一部の“事実”や“証言”だけをとらえて、他の数多くの事実や証言を無視します。
だからこそ、私は、彼らが無視している事実を、「一面的に」強調したのです。強調してしすぎることはない事実だととらえているからです。

“戦争は政治(外交)の延長であり、その失敗の結果だ”という趣旨のことを、クラウゼウィッツが著書『戦争論』のなかでのべていますが、平時において、政府に“誤らせない”ため、“有事”をおこさせないために、直接政府にたいして、あるいは国民相互の意識的働きかけは、不断に行なわれなければならないと思っています。
反戦平和活動(運動)というのは、そういう働きかけの一つのあり方ではないでしょうか。
外交無方針といってもよい最近の政権ですが、この間の閣僚の言動を見聞きしていて、私が危なっかしいと感じるのは、政治の失敗の結果引き起こされる戦争が、当事国の社会、国民にどれだけの惨害をもたらすかということについて、彼らが無頓着だと感じるからです。

同時に、私が彼らに深い不信を抱いています。
通りがかりさんが指して言われている「戦勝国」のなかでも最たる経済的軍事的大国であるアメリカに、自国の領土のかなりの部分と、領空領海のかなりの部分を自由勝手に使わせ、条約上にも義務のない「思いやり予算」までつけて、この占領状態をむしろ維持し拡大させてきたのが、ほかでもない、同胞の戦争被害やアジア各国への侵略の事実を無視し、なかったことにしようとしている彼ら自身だということ。
「去勢」されているのは、彼らの方です。小泉氏などは、自分はブッシュの犬だと言ってのけました。これこそ、「自虐」的卑屈さの最たるものでしょう。

「時は戦時」、「集団疎開」も大規模に行なわれました。
すでに1944年7月以降、サイパン、グアム、テニアンなどが占領され、本土爆撃の基地がつくられ、また1945年3月に硫黄島が占領され、完全に制空権を握られた状況で、「銃後」などもはや存在していませんでした。
通りがかりさんの指摘されているように、国際法無視の(まず世界で最初に旧日本軍が重慶で実践した攻撃手法であるところの)都市無差別爆撃「空襲」によって。

なぜ、沖縄地上戦にいたる前に、戦争をやめなかったのでしょうか。
8月14日にポツダム宣言を受諾できたのなら、なぜ、それ以前に、戦争終結のための外交的努力をはじめなかったのでしょうか。
連合国側が戦後処理の原則をうちだした1943年11月(カイロ宣言)当時、すでに1942年6月のミッドウェー海戦で敗れて以降連戦連敗だった日本には、起死回生策はなかったはずです。
そうまでして継続しなければならなかった大義が、さきの戦争にあったとは思えません。
「勇猛果敢に戦死していった方」は、大義のない戦争のなかで、「軍人勅諭」や「教育勅語」によって、羽より軽い命と軽んじられ、たたかわされ、死ななければならない状況に追い込まれた人びとではなかったでしょうか。
Posted by Kyawa at 2007/08/05 Sun 18:58
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