2008/04/16 Wed

敢えて、「分けてよ」、と遺言した立案者の意思に反して


だいたい、政治的でない文化、スポーツ言語、国境なんてものは、そもそもございません。
だからこそ、言語を政治ではなく歴史的構造的に検証しようという学問も生まれたのですし、スポーツも、政治的戦闘的要素を脱して、一般的規律的平和的に、誰もが"楽しめるように"発展してきたのですし、国境さえ、それがたとえ政治的に設定されていようと、平和的に解決しようという、絶え間なく、多数の犠牲を払いつつの、営為が続けられてきたのではなかったか!!

ある政治的団体が、まるで正義をわが手に握っているか担っているか知らんが、そういう錯覚を根拠に、とんでもないテロ行為を敢行したおかげで、その口火は飛び火し、燎原の火のように広がっている。

さまざまな正義感ゆえの、さまざまな不満の吐き出し口に、こういうセンセーショナルで、目立ちやすく、攻撃しやすいメディア的標的をねらう。
そういう集団には、私は、金輪際加わりたくない。

日本では、そういう人々は、いまだに、連合赤軍「浅間山荘事件」に、意義を見出してみたり、過去のすぎさった青春の名残と記憶の一部に、東大占拠事件を描いてみたりしている。
メディアにも幾度も取り上げられている。
あれと、ヒトラーが政策とした、人種絶滅作戦や、帝国日本が法制化した思想を犯罪として拷問と死刑をもって処した制度と、どう違うのか、と問いたい。

我々と違う主張を持つものは、ゲバ棒で殴り殺しても構わないという"倫理"観の行き当たるところは、おなじじゃないですか。

言論と人権を守れ、という団体が、ある元首のセレモニーで発言すべく立った舞台上で、マイクをにぎり倒した。
言論を守るものが、言論を封殺する行為を、暴力的に行なっておいて、それが言論を守るためと称して、憤然としている。馬鹿。

オリンピックというスポーツの祭典をめざして、自分の人生と技量を、真っ向から、人生自身に賭けている男女が、幾人いると思っているのか。

北京開催が決まったときに、反対しろよ、反対者は!!
国際機関が、スポーツ国際祭典としてのオリンピック開催予定地として、正式に認定したんじゃないか!!
なぜそれをいまごろになって、時勢の政局にならって否定するのか。

そんなに人権が大事と思うなら、いますぐ、アフガンやイラクに行って、市民殺戮の現場で、その殺戮をになっている米軍や同盟軍の手を止めろ!!



オマエらの国の政府に、命をけずる政策遂行のストップを、全力をあげて主張しろ!!

近代オリンピックの始祖は、なんと主張したか。
近代オリンピックの開催に期して、なにを"政治的"に主張してきたかを、今一度、振り返ってみるといい。
posted by Kyawa at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース
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