2008/03/13 Thu

ライラの冒険 黄金の羅針盤

きのうの夜、市内映画館で映画ライラの冒険 黄金の羅針盤」を鑑賞。
日本上映が楽しみで、予め『ライラの冒険』シリーズ3部作を読んでおいた。

予告編を見て期待していた以上。
原作のストーリー展開と若干ちがう点はあったが、それがむしろ全体のストーリー展開をより分かりやすくしているようだし、それにもまして、私の読解力、想像力では思いも及ばないような、物語世界の描写に圧倒された。
ダコタ・ブルー・リチャーズ演じるライラが、まるで本から抜け出してきたかのよう。

出演している俳優陣がすばらしい。
映画「007 カジノ・ロワイヤル」でボンドを演じたダニエル・クレイグ。
映画「ベイブ」で「ホゲット夫人」を演じたマグダ・ズバンスキー。
ミステリチャンネルで以前放映されたテレビドラマ「修道士カドフェル」の主人公を演じたデレク・ジャコビ。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」で「白のサルマン」を演じたクリストファー・リー。
などなど……。
そんなにイギリスの俳優を知らない私でも顔を知っているほどの人たちが、後から後から登場。
これらの芸達者たちが、CGなどを駆使した映像のすばらしさ、原作のスピリットを生き生きと反映させた脚本、監督差配とあいまって、冒険ファンタジーのドラマ世界を、説得力ある生命力にあふれたものにしてくれていた。

今回上映されているのは吹き替え版。映画館の受付で確認したら、字幕版の上映は当分予定されていないとのことだった。
この吹き替えも成功しているんじゃないだろうか。私は十分堪能できた。
とくに、アメリカの俳優ニコール・キッドマン演じるコールター夫人の声は見事だった。

映画を鑑賞して、原作小説を読んだときよりもよりくっきり際立って迫ってきたのは、専制と隷従、圧迫と偏狭を拒否するものたちの力強さ。
一個の人間として確固とした自我をもって世界に対峙する子供たちの伸びやかさ。
宗教や国家をめぐって、かなり深刻な内容をふくんでいる『ライラの冒険』シリーズが、冒険映画としてもたいへん魅力的に仕上がった。
第2部、第3部の映画化が楽しみ。……瑣末的に指摘すると、小説第1部の映画化という点では、第1部の最終章が、映画化のさいには持ち越されている。これは物語展開上正解だったと思う。
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2008/02/28 Thu

ウォーター・ホース

映画ウォーター・ホース」、市内の映画館で、あすで上映終了という間際、ようやく鑑賞。

何ヶ月か前、映画「ベオウルフ」の予告を見て、全編CGアニメの違和感を覚えていた。
そんなおり、映画館で見た「ウォーター・ホース」の予告編に、CGと丁寧な人間描写との統一を見た気がして、期待していた。

期待通り。
スコットランドの、寒々と厳しく、雄大で穏やかな自然が美しく映し出される冒頭からうっとり。これは期待以上だった。
私は、アメリカ制作映画にはない、人間の機微を描くイギリス制作映画独特の雰囲気が好きだ。

第二次世界大戦当時の、ある村の少年を主人公に物語は展開。
ネス湖近くの、広大な敷地をもつ城の主の家族かと思いきや、城守の家族。
父親は兵役に出ている。
少年は湖に強く惹かれながら、父親が海で撃沈されたことで、強い恐れも抱いている。
そんな湖の潮溜まりでみつけた不思議な美しい石…。

突然前触れもなく城に陣取る軍隊。
ネス湖で展開される滑稽な防衛陣。砲台は、北海とつながっている湖に侵入してくるであろうとされるUボートへ向けられ、湖の入り口には巨大な網がすえつけられる。
静かな、前線から遠く離れたこの村、湖で、いったい何に対して構えているのか…

夫を戦争で殺された、主人公の少年の母の、悲痛な叫びが、終盤の山場。
エンドロールとバックに流れるテーマソングまでが、この映画の作品。「ロード・オブ・ザ・リング」と似通ったこだわり。
テーマがくっきりと分かる筋立て。
戦争の愚かさ。仮想敵をつくりだし軍備することの危うさ。

主役の少年のかわいらしさと、もう一人(匹?頭?)の主役であるCG作品の愛らしさと恐ろしさのリアルさが、全体を牽引している。
CGはこういうふうに使ってこそ味も効果もあると思う。
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2008/02/21 Thu

母べえ

映画「母べえ(かあべえ)」をようやく鑑賞。
宣伝の凄さに驚いていた。
憲法改定手続法が堂々と国会を通過し、閣僚などから日中戦争や太平洋戦争が大義ある戦争であったという認識が語られ、メディアもそれを追認容認する傾向にある今日、「治安維持法」とその被害を受けた家族を真正面から扱っている映画が、これほど大々的に広報されるなんて、かなり意外だった。

おこがましくも「心配」だった吉永小百合さんの「母べえ」像は、期待以上の迫力。

まず圧倒されたのは、突然特高に土足で踏み込まれ、夫に縄を打たれて連れ去られたあと、その翌朝のシーン。
子供たちに朝食をいそがせながら、特高たちの靴あとのついた畳を力をこめて拭き取っている姿。その形相。
不安と怒りと悲しみのこもった、吉永さんの表情、目の凄さ。

最期の「母べえ」の言葉。
夫を、理不尽な「法律」と「体制」によって奪われた「恨み」、戦中戦後を生き抜いた女性の気骨と気概が、痩せさらばえた体から迸る。

セリフのある役者さんたちの顔ぶれの豪華なこと。名のある人がぞろぞろ出てくる。それを見ているのだけでも楽しかった。

その群像が描く、戦時の日本の巷。
よく、戦争は軍部の暴走によって引き起こされた、とかいう歴史評価を聞くが、一概に、そうとは言い切れなかっただろうと思った。
当時の知識人・インテリ層の認識の甘さと愚かさ。時の政府方針に忠実なだけでなく、それを助長し拡大していった大衆組織の存在、メディアの果たした役割。
そういう不気味な社会の雰囲気が、まったく、現在の私たちの生活感覚の隙間から生み出されかねないんだという危うさを、全体、映画が描く通りや下町からうかがい知れる。
暮らし、営みのなかに浸透している戦争というものを、これほど説得的に見せられたのは、はじめてじゃないかしらん。

「治安維持法」によって検挙・投獄された人たち、そのなかで命を失ったり、身体をこわしたり、家族生活を壊されというような、人権侵害にたいする、国家賠償は、これまでまだ一度も行なわれていないという(*)。
母べえの最期の言葉は、そういう現状にたいする、すべての被害者関係者の抗議の声にも聞き取れる。
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2008/02/18 Mon

無残やなセルフリメイク「犬神家」

死んだ市川監督に、これでもかと、死者に鞭打つ仕儀となりはしないか。
昨今の追悼映画放映特集。
リメイク版「犬神家」は大失敗作だと思っている。
「細雪」は、オンナをオトコの視点、それも監督独特のいやらしさが出ている、人間がとことん卑屈で卑小に描かれている、なんとも退屈な映像美だと思っている。
これが、たてつづけに放映されて、がっかり。

地上波ではかくのごとしだったが、衛星放映の方では、少しばかり増しで、市川監督の初期、中期作品をぞくぞく放映。

やはり、「犬神家」は、リメイク版より、はじめの作品でしょう。
リメイク版なんて、編集しているのになぜあの間の悪さが出るんでしょうか?!!!!っていうくらい、変な退屈な間があるし、役者は上手も下手も玉石混交でやっかいなのはこの上ない上に、演技は、玉の方も、なんでこんなんなんですか?っていうくらい下手っぴーにしか映してないし、これは監督もボケたかなと思っていました。

こんな死者に鞭打つような特集をするということは、監督の本来の良さを理解している人が、あんまりいないということの証なんだろう。
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2007/12/31 Mon

武士の一分

こんなに早くテレビで見られるとは思っていなかった「武士の一分」。
テレビ版予告編を幾度か見ていると、それまでのキムタク偏見が吹っ飛んだ。
というくらい、木村拓也氏には、これまで幾度となく見てきた番組で培われてきた偏見で、頭がいっぱいだったから。

本編を見て、木村拓也さんが、日ごろジャニーズ事務所の一員として、テレビ・タレントとして見せている一面と、プロの俳優として見せる面との、違いの大きさに驚かされた。
たまたま、貝の毒にあたってしまった毒見役の平侍。高熱で3日間目が覚めなかった様態から、目覚めたときに、ふと目を開けたその眼。

役の上では、その眼、すでに視力を失っている。
が、キムタク、見事に、その視力を失った眼を演じきっている。
眼の視点の空ろさを、開けた瞬間から維持するというワザ。
これには“凄まじさ”をすら感じた。

“毒味役”という役職のうらさびしさを感じさせる、山田組が見せてくれていた、独特のたたずまい。
平役職の地方武士の役宅の侘しさ。

これって、木村拓也という資質が、山田監督の手腕によって引き出されたものではないかと。

八目神社の境内。“お百度参り”する“御新造”(映画本編を見るまで、その本来の意味を知らなかった)。
途中、見るからに辛そうに裸足で荒い息遣い。ここはもっと自然にやってほしい、というのはオトコのサガか。
山田監督は、ここでむしろ、女性のこの時代での辛さを、丁寧に描こうとしたのか。

人間群像をきっちり描く山田監督。
その群像をきっちり堅く支える背景映像の、配置と陰影の確かさ。

親戚の寄り合いの一連のシーンがあるので、それ以降のシーンの説得力がある。

しかし、難を言えば、木村氏と坂東氏以外の役者に、ちょこっと不満。
いや、もうちょっと思い切り言い切ってしまうと、キムタク中心の演出だったんじゃないかと思ってしまうくらいでした。

そのくらい、主役が光り輝いてました。
こんなに、木村拓也が逸材だとは、思わなかった。
この逸材を生かしきった監督の手腕が光った作品だったんじゃないか。
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2007/12/30 Sun

“無法松”と園井惠子

先日、新藤監督作品「さくら隊散る」を視聴。
そこでクローズアップされていた園井惠子さん出演、以前から好きだった阪妻主演の作品を、ようやく視聴できた。
幾度もリメイクされたらしい「無法松の一生」。
ところどころ、無残な編集の痕跡。
これだけあからさまに、寸断されたと分かるような切り方をしているということは、なんらかの意図があるのではないかと思わされる。

阪妻の名演はもとより、園井惠子の美しさと、予想を上回る名演技に、圧倒される。
近辺の女優に平均的な音域より、やや低音の、落ち着いた音域の、落ち着いた情感豊かな(そしてわざとらしくない)セリフ回し。

マツゴロウと夫人との間の、頼り頼られる、男女の情を交えつつも一線を越えられないからこその結びつき方の濃い関係。
その人間らしさ。

作品の風景、風俗、空ですら、現代、リメイクしようとしても、相当の労力と、あるいは、CGでしか再現できないであろうと思われる、時代背景。うらやましさを感じるのは、映画関係者ではない、いろんなCGで中途半端な“再現”に辟易している観る側だからこそ。

それよりなにより、涙したのは、これほど美しく、演技力ある俳優が、原爆によって、無残に命を絶たれなければならなかった無残さ。
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2007/12/12 Wed

椿三十郎

見に行ってよかった。中央商店街のなかにある映画館で視聴した「椿三十郎」。
ほとんど期待していなかっただけに、織田裕二さんを筆頭に、出演していたすべての俳優の好演、映画全体のかもしだす雰囲気のすばらしさに、驚かされ、感動した。
オリジナルよりも、私はこちらの作品の方が好きだ。作品の説得力は、今作品の方が勝っていた。

殺陣のすばらしさ。集団の動きのうまさもさることながら、織田裕二の眼光の鋭さと殺気をおびた表情。それを追うカメラの“揺らぎ”が緊張感をつくりだしていた。
あの殺陣は映画館で観るに限る。

豊川悦司演じる室戸の目と表情の冷たさ。
オリジナル作品でも、仲代達矢さんは冷たくも野心に満ちた若々しい無頼の侍を演じていたが、豊川氏の室戸は、一段とその人間像を豊かにし、深みを増していた。

椿が思わず肩入れしてしまった若侍の群像。みんな良い。みんなのあの群像がみんなで良い。
松山ケンイチ氏の井坂は絶品。ひたむきさ、若さを身体いっぱい、顔いっぱいで演じていた。
あと、保川邦衛を演じていた一太郎氏の小憎たらしさが良い。

当時、入江たか子さんが演じた睦田夫人の気品を、中村玉緒さんが期待以上にしっとりと演じていたっけ。
藤田まこと氏の“馬面”で“まぬけ”面の城代家老は、伊藤雄之助氏が演じた睦田とは別の素敵なおかしみを帯びた風格。
そして、風間杜夫さん、最高!

ラスト、オリジナルよりも、今回の方が自然で納得した。切なさがたまらん。泣きそうになった。
侍の階級的気品と厳しさという点では、どうかと思うが、野性味と無頼さは、三船「椿三十郎」よりも、織田「椿三十郎」に似合っていた。
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2007/11/28 Wed

てれすこ

甲府市内の映画館で上映中、中村勘三郎さん、柄本明さん、小泉今日子さんらによる上質の笑いで涙もさそう、粋な人情話。映画「てれすこ」。
そこここに登場するベテラン俳優や意外な出演者ら、幕末江戸の風俗の描写にわくわくうきうき。彼らがまた、浮き上がったりせずにスジのなかにすっかり生き生きと馴染んでいる。
男性お2人の力量は言わずもがな。
今回びっくりしたのは小泉今日子さんの女っぷり。
娼婦宿に登場する最初のシーン。化粧のムラ。疲れた女の風情。
惚れた男と旅にでて、ラストの見返りの表情の美しいこと。
心が荒れず、安心して笑い泣ける映画でした。
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2007/11/24 Sat

溝口健二監督と女優田中絹代

BSハイビジョンチャンネルで放映されている映画「映画女優」。
久しぶりに見ていたら、先日、衛星放送の日本映画専門チャンネルで放映されたドキュメンタリー映画「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」で描かれていた、田中絹代と溝口健二監督との縁を思った。
検索して確認したら、「映画女優」の原作・脚本は新藤兼人だった。
なるほど、連想してしかるべし。

ドキュメンタリー作品が製作されたのが1975年だったそうだ(概要は日本映画専門チャンネルのサイトに)。
市川崑監督(監督・脚本)の「映画女優」が製作されたのは1987年だそうだ(概要はNHK・BSのサイトに)。

じれったい。
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」で、チャキチャキと語っていた田中絹代さんの様子や、彼女や周辺の人たちの語りで浮かび上がっていた溝口健二さんの人となりのおもしろさ、人間味が、「映画女優」の吉永小百合、菅原文太演じる田中と溝内からは、なかなか感じられない。
吉永小百合さんは、初期の出演作品は安心して観ていられるのに、先日放映された「細雪」にしろ、「夕鶴つる」にしろ、この「映画女優」にしろ、なんだか粗ばかりが目立ってしまう。

来年公開される、山田洋次さんが監督した「母べえ」に主演しているそうだが、どこらへんまで演ってくれてるかなあ。
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2007/11/22 Thu

魔笛

甲府市内の映画館できょうが上映最終日だった、映画「魔笛」。
モーツァルトのオペラ「魔笛」を最初から最後まで通して観たことがない。
ところどころかじり見しただけだったから、今回の映画「魔笛」で、全体のストーリーはじめて知った。

「序曲」部分から圧倒されてしまった。
第一次世界大戦の西部戦線を連想させる塹壕、そのなかにひしめく兵士たち。
前線の空を旋回する二枚葉のプロペラ爆撃機。
そして毒ガス。「序曲」から「第一幕」の初っ端へ。「たすけて、たすけて」と、迫る毒ガスからにげるタミーノのセリフ。
パパゲーノは毒ガスを検知する兵士として、カナリアを籠に入れて登場。うまいなあ。有名なアリア「私は鳥刺し」が歌われる。
ここいらの流れ、まったく、曲と映像がマッチしていて、すばらしい。

夜の女王とザラストロとの、かつて愛し合ったことのある男女の因縁の対立は、大平野に陣取る、青服と赤服の2陣営の戦争として、視覚的にも構造的にもより明瞭に。
この設定が、物語の終盤の、2つ目の試練の描写へとつながる。

有名なアリアが、その設定のなかで、より印象的に謳いあげられるし、CGを駆使した背景が違和感なく情感をもりあげる。
沖縄にある「平和の礎(いしじ)」を連想させる、白亜の殿堂。そこで謳いあげられるアリア。
「夜の女王」のアリアの迫力。

殺戮をとめたのは、愛と非暴力、寛容と芸術の力。
「魔笛」を高々と掲げて、しっかり手を握り合い、砲撃のなかをすすんでゆくタミーノとパミーナ、2人に続いて武器を捨てて塹壕から続々と現われる兵士たち、そのあとに続く民衆。
このシーンはこの映画のなかで一番圧巻だった。
posted by Kyawa at 23:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画